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週のはじめに考える お地蔵さんはなぜ怒る(東京新聞 2013年6月9日 社説)

東京新聞 2013年6月9日 社説より

福島の事故などないかのように、政府は原発の輸出に突き進む。電力会社はひたすら再稼働を急ぎます。人はこうして、過ちを繰り返してしまうのか。

ことし三月、宮城県気仙沼市の山の手に、一軒の地蔵堂が建立されました。

発願は俳優の滝田栄さん(62)。二十年前、母親の供養のために仏像を彫り始め、これまでに約二十体を手がけています。

地蔵堂の建設費千五百万円は、全国からの寄付で賄いました。

滝田さんがそこに安置した「気仙沼みちびき地蔵」は、クスノキの一木造り。高さ百三十センチの地蔵菩薩(ぼさつ)立像で、光背や台座を含めると二メートルに届きます

長野県原村のアトリエにこもって、四カ月で彫り上げました。

目を閉じて、果てしない廃虚を思い浮かべた。その中に自分を立たせ、誰かに救いを求めようとした時に、地蔵菩薩の姿が見えた

お地蔵さんは、あらゆる命をはぐくむ大地のような力を宿し、苦悩する人々を無限の慈悲で包んでくれるといわれています。

気仙沼のみちびき地蔵も、路傍の石地蔵のように丸い柔和な顔立ちです。

ところが、じっと見ていると、時折不動明王のような厳しさをのぞかせることもある。作者自身もそう言います。

なぜか。

滝田さんは三十三歳の時、NHK大河ドラマ「徳川家康」の役作りを通じて仏教に触れ、釈迦(しゃか)の生き方に共感し、五十二歳で「レ・ミゼラブル」の舞台にひと区切りをつけたあと、インドに渡ってその足跡を追いかけました。

◆何を求め、何を急ぐ

滝田さんは振り返る。

「お釈迦様はおっしゃいました。悲しみや苦しみの原因をつくってはいけません。煩悩とか、欲とかいうのは、本当に苦しみの種をまいて歩いているようなものだから。一時のそれに目がくらみ、人生を誤るようなことをしてはいけません-。実はね、これしか言っていないんですよ」

3・11は戦後最大の転換点だと思われます。

日本は、私は、どこで、何を間違えたのだろうかと来し方を振り返り、本当にこのままでいいのだろうかと行く末を占うために、滝田さんはお地蔵さんを彫り、人々が集うことのできるお堂を建てたのでしょうか。

「失敗や過ちは必ずある。でも、それを繰り返すのは無知だから。無知は罪」

みちびき地蔵が、そう語りかけてくるようです。

過去から学び、大切な何かを見いだして、今を改めなければいけない時なのに、なかなかそれがかないません。

滝田さんの言葉を借りれば「原発を見ても、経済界や社会の動きを見ても、もうすでに“お金に向かって走れ”の昔」に戻りつつあるのでしょうか。

政府の顔色をうかがいながら、電力会社はあからさまに原発再稼働を急いでいます。経営の安定が何より大事と言いたげに。

原発事故に故郷を追われた人々がいまだ十五万人もいて、十分な補償も受けられず、「原発がなければこんな悲劇は起こんねえ」と、声を振り絞っているのにです。

政府は成長戦略に余念なく、福島事故の原因が究明されていないにもかかわらず、首相自ら途上国への原発セールスに駆け回る。

事故現場では、絶え間なくわき出る放射能汚染水の行き場さえ見つからず、廃炉への道筋も付かないままに。

公表されたばかりの「環境白書」の中からは、前の年には強調された原発リスクの大きさや原子力規制行政への期待を表すくだりが、姿を消してしまっています。

その変わり身に、慈愛あふれるお地蔵さんさえ、いや、慈愛に満ちていればこそ、いら立ち、あきれ、お不動さんの憤怒の相をのぞかせてしまうのでしょう。

◆津波の来ない高台で

地蔵堂は、津波の来ない高台に建てられました。そこに人々が集まって、震災後の生き方やまちづくりについて考え、話し合ってもらえるように。

落慶法要の当日は、抜けるような晴天でした。揺り戻される時間の中から、映画の場面が心に浮かんできます。

宮崎駿監督のアニメ「千と千尋の神隠し」。肥え太った人々が、有り余るごちそうに群がり、むさぼるあのシーン。

これ以上過ちを繰り返さないために、私たちはどのように暮らしていくべきか。お地蔵さんにみちびかれ、自分自身で答えを見つけなければなりません。